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「ウルトラマン(初代)」放映30周年にあたる1996年を
翌年に控えていた1995年。
ビデオではグレート・パワード、
劇場用ではゼアスが発表されていたウルトラシリーズも、
テレビ作品となると1980年の「ウルトラマン80」いらい、
この時点でなんと15年間も作られていなかったんだ。 |
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この記念すべき30周年(1996年)に、
ウルトラシリーズを必ずテレビで復活させるということが
円谷プロで決まったんだ。
でもそれは簡単なことではなかった。
それは円谷プロがウルトラマンをテレビ放映をしたいといっても、
テレビ局のほうが放映枠をあけてくれないと、
なにも放映できないからなんだよ。
しかも特撮番組はと〜ってもお金がかかるコンテンツだから、
そもそも放送枠が取りにくいんだって。
パワードやグレートがビデオリリースだったのも、
そんなテレビ事情があったのかもね。
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その取りにくい枠を何とか取ろうと、
テレビ放映を前提としたプロモーション活動として、
この「ウルトラマンネオス」が生まれたんだ。
ネオスは1995年3月ころから、
講談社のテレビマガジンで雑誌上のみで展開したり、
アトラクションショーで活躍したりした。
その年のウルトラマンフェスティバルでは
メインで扱われたりしたんだよ。
そしてパイロット版というお試し版が1話だけ作られて、
それにあわせて主題歌も作られたんだ。
上のほうで紹介した写真のネオスとセブン21は、
このパイロット版のときのデザインなんだね。
そうやって、テレビには出てこないまでも、
ネオスはちょっとずつだけど、
みんなに知られるようになっていったんだ。
そういうプロモーションをすると同時に、円谷プロは
ネオス放映予定のTBSに
翌1996年4月からの放映枠を用意してくれるよう、
「ウルトラマンネオス」の企画を持ち込こんでいたんだ。
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けど、こういった努力も空しく、1995年の夏、
「1996年4月からの放映枠は用意できない」というお返事が
TBSから来ちゃったんだ。
せっかくがんばったのにね。 |
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でも円谷プロはあきらめなかったよ。
こんどはTBSの準キー局である、
大阪の毎日放送に企画を売り込むことにしたんだ。
いろいろあった末にこの企画は通ったんだけど、
でも放映されたのは「ウルトラマンネオス」ではなく
「ウルトラマンティガ」だったんだ。
これはTBSに持ち込んだ企画をそのまま
毎日放送に持ち込むのはまずいということで、
新しく「ウルトラマンティガ」が企画されて、
ネオスのかわりにこちらが持ち込まれていたからなんだ。
だからその時点でネオスは
もうテレビに出られなくなっていたんだよね。
かわいそうだね。
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みんなも知っているとおり「ウルトラマンティガ」は
とってもヒットして、おかげでそのあと「ダイナ」・「ガイア」と続いて、
3年間も連続してウルトラシリーズがテレビ放映されて、
好評のうちに終了したんだ。
でも、その成功の陰にこの「ネオス」がいたってこと、
みんなは覚えていてね。
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でもね、「ネオス」はそれでなくなっちゃったわけじゃなかったんだよ。
それから4年後の2000年。
前年に「ウルトラマンガイア」の放映も終えたあとに、
ビデオ作品「ウルトラセブン(全9話)」が完結したんだけど、
なんと、この次の企画として、
ついに「ウルトラマンネオス」のビデオリリースが始まったんだ。
ネオスが帰ってきたんだよ!!
ほんとに良かっ・・・ゴホッ、ゴホッ!(>o<)
・・・えへへ、もう昔のことなのに
お話してたら嬉しくなっちゃって、ちょっとこうふんしちゃった。
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